
20代前半の頃のこと。大手旅行代理店から「
今までにないアドベンチャーツアーを企画して欲しい」とのオファーが舞い込んだ。
願ったりと、二つ返事で引き受けてはみたものの・・・意気込んで考えてみたが、ヒマラヤトレッキング、オートルート、南極、北極、無人島・・・アイデアはありきたりのものばかり。アドベンチャーと呼べるのかも自信がない。早速煮詰まってしまった僕は国会図書館に通いつめ、様々な文献、旅行記を読み漁ること数日間。
ついに、とある翻訳本の中に行方不明となった宣教師の話を見つけた。それは
18世紀のミッション(布教)について記されたものだった。場所は赤道直下の島「カリマンタン(ボルネオ)島」の最奥地、
ダヤク族という首狩りの習慣があった部族が住むエリア・・・
記録によれば18世紀にフランスの宣教師がダヤクの村に布教に入り、そのまま消息を絶ったというもの。その後、ボルネオの付近は外国人は入りこそすれ、道の無い密林に閉ざされた
最奥地に入った者の記録は皆無。その部族の部落に行くにはマハカム川を小型のボード延々二日間以上も遡らねば到達できぬとあった。国内でのツアー実績もまだない。これこそ、まさにアドベンチャーではないか!
■googleマップ僕は「これだ」と直感すると、早速そのエリアの地形図や風俗を調査開始。しかし調べども調べども一向に資料がない。おまけに地形図すら存在しない。そこで
日本インドネシア友好協会の協力を仰ぎ、どうすればダヤク族の部落に入れるかを探った。
同時に企画書を仕上げ、反響の大きさ、話題性、PR効果なども試算し、プレゼンするとOKの返事。しかし、ツアーを募集するには、行程・スケジュール・安全性など諸々の要素が必要になる。こうした仕事は企画料もさることながら、現地に行けるので俄然張り切ってしまう。
PRのため写真週刊誌
フライデーのK記者やTV番組の制作会社などとも連携がとれ、成功した暁には、
行程計画表など資料一切を提供するとの確約を結んだ。後日、このツアーと、まんま同じルートをタレントがトレースしたアドベンチャー番組が作られ放映され、月刊誌にも見開きで掲載されることになる。
※K記者は「すごい事態になったら、それは必ず撮影してください」という・・・すごい事態の最中に写真など撮れるものか。
さて、さっそく協会に小型の船外機付き木舟の目処をつけてもらい、インドネシアでボルネオ島の奥に多少の知識を持つ人物“カツさん”をガイドに雇って、調査に入ることになった。
まずバリ島に降り立ち、現地ガイドらと詳細という名のアバウトな打ち合わせ(笑)。そこから翌日早朝、ジャカルタに向かい、一日一便のプロペラ機で
カリマンタン島のパランカラヤ空港に降り立った。
空港からはジープで二時間ほどラフロードを揺られて到着したのは泥川
マハカム川のほとり。見慣れぬ部外者の到着に、わらわらと現地の人たちが群れてくる。僕ら先発隊はそこでポーター10名と後日のための契約を交わすと、水、食料やら薬品、折りたたみカヤック(ファルトボート)一式を数台の船外機付きオンボロ舟に乗せ、濁りきった川を遡上開始。現地は
コレラ、赤痢の汚染地帯とされていた。
ジャングルの中を水が流れるような、どこまでが川かわからぬようになった地点で、今度はもっと小型の、喫水の浅い舟に。そして途中の密林でキャンプし、翌朝も早朝から遡上。ようやく夕方近くになって「あれがダヤクの部落だ」とガイドの“カツ”さんが眉をひそめた。
村に入ろうとすると、ひとけの無かったジャングルからワラワラと、
刀を手にした戦士が姿をあらわし上陸を阻む。さっそく彼らに対してカツさんが何やら交渉を始める。いっきに空気が張り詰める。かなりの時間を費やした交渉だったが、様々な条件提示によってダヤク族も納得したようだ。
しかし上陸して村に入る我々の前に、横棒が差し渡された。そして戦士の代表が進み出て、こちらからもひとり出るようにとのジェスチャーに旅行会社のツアー責任者のH氏が「さあ行って」と僕の背を押す。
前に出た僕に、一振りの刀が手渡された・・・・「ホワッツ?」そう思う間もなく戦士が襲い掛かってきた。ひぇぇぇ。多少は剣道の心得のある僕は、とっさに下段からその刃を撥ね上げて、間合いを開ける・・・こうした攻防が続いたある瞬間、戦士の背後から老人が「入れ」と合図。いやぁほっとしたのなんの。この時、ほんとうに殺されるかもしれない・・・という恐怖を味わったため、足の力が抜けてフラフラしてしまった。
村に入るとき、横に渡された棒を一息に断ち切って入れ、ということで、上段雷刀の構えから気合とともに断ち落としに棒を斬った。見事に真っ二つ。その結界に足を踏み入れる前に、僕らの身体には真っ白い粉を練ったようなものが塗られ、たちまち舞踏家の態となる。目の前の男達はすでに真っ白。ニコリともしない鋭い目つきで僕らを見ている・・・

怖かったので隠し撮りのような格好でシャッターを切りました・・・こんな不明瞭な写真に・・・残念です。
しかし、さらなる恐怖はこの直後・・・
生け贄(いけにえ)の儀式だった。
棒に逆さづりされたブタの喉を細い竹で一息に突く。ものすごい悲鳴をあげるブタの喉からは、鮮血がしゅーしゅーとほとばしる。それを器に受けて、真っ白な僕らの顔に模様を描くように塗る。背筋がぞくそくする。

竹やりがブタの喉首に刺さっている。そこからはおびただしい血がしたたっている。ブタはものすごい悲鳴をあげ続ける・・・怖い・・・

血を抜き終わったブタ。上には地面に沁み込んだ血の池ができている・・・この血を顔や身体に塗られたのです・・・
こうして部族長の前に引き出され、それぞれ挨拶を交わし、貢物を差し出しながら仔細を告げた。この調査に基づいて、ツアーを募集したのだった。しかし、ツアーは思わぬ事態に・・・
つづく
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ユウさんのすごい体験がいろんな話を面白くできるのですね。
川口浩だったかなあ?
原住民の腕には腕時計の痕があるって言うのと違うんですねえ。恐・笑)
実は僕の義理の兄はチョモランマへ二度登頂しております。
今は自分で海外の山のツアー会社をやっており、山でのいろんな話を聞きましたが、この手の実体験談は初めてです。
この後、どうなったのか興味津々。