
= 怪談CLUB 其の五=
今から15年ほど前の話です。
当時ザイルパートナーであったMと二人で西穂高の岩場を登攀。そこから奥穂、前穂、バリエーションルートと云われる北尾根から慶応尾根を下降し奥又白谷のルートを経由。そして梓川を越え、上高地に通じるハイキングに最適な平坦な登山道に出た。
空は青々とした秋晴れ。梓川のこぼれるような沢音が森に響く中、僕らはヘルメットやザイル、登攀道具類をザックにしまうと多くのハイカーが行きかう道をのんびりと歩いた。
やがて小川にかけられた短い木橋を足元の水場を見ながら渡ると、日差しに眩しく輝く広大な芝地が眼前に開け、カラフルなテントが点々と見えた。
徳沢園という山小屋が経営するテント場だ。予定ではここをやり過ごし、上高地の小梨平キャンプ場で一泊し、上高地温泉ホテルでゆっくりと温泉に浸かった後は誰もいない夕暮れの河童橋でビールを飲む、という贅沢な計画だった・・・
しかし、
徳沢のキャンプ場でマットに昼寝している登山者の姿を見た瞬間、緑の絨毯の上でゆっくり眠りたい、という欲望が目覚めてしまった。それをMに提案すると、あっさりと「OK」の返事。
僕らは芝のほぼ真ん中あたりの大きな木の近くに陣取ると、ツェルト2張を設営。水場で身体を拭き、昼寝をしてからドライフーズのピラフを作り始めた。ふと気が付けば、いつ設営したのか、木の裏側の黄色いドームテントの横で初老の男性が煙草をくゆらせながらビールを飲んでいる。
旨そうだなぁ・・・その光景に堪らず、山小屋で冷えたビールを買おうと思った矢先、その男性と目が合ってしまった。慌てて目をそらしたが、男性は腰を上げるとゆっくりと近付いてきた。
「岩ですか」と、朗らかな声が傍らで響いた。その初老の男性は
島々谷から徳本(とくごう)峠を越えて上高地に入ったとのことで、明日は
涸沢(からさわ)のテント場で二泊した後、再びここ徳沢を経て上高地に出るのだという。
涸沢といえば北穂のすぐ真下。
「もったいないですね」と言うと、岩場は怖いから山を眺めながら酒を飲みにきた、と日焼けした顔を皺くちゃにして笑った。その笑顔を見ながら賢明かもしれないな、と思った。毎年何人もの登山者が北穂へ続く岩稜ルートで滑落する事故が起きている。僕もそのうちトレッキング中心で、この老人のように山をゆっくりと楽しめるようになりたいと思った。
こうして意気投合し雑談するうちに、太陽は稜線の向こうに沈み、あたりは薄暗くなった。老人は僕らの分だ、と水場から二本の缶ビールを持ってきた。これには思わず喉が鳴ってしまった(笑) この後、ウイスキーに切り替えたところを見れば、僕らにくれたビールが最後の二本だったのだろう。
老人は酒が入るにつれて饒舌になった。思い出に浸るように、今までに登った山々の話をとめどなく話し、そうこうするうちに、最初に話した山の話を再び繰り返す。僕は、まいったなと思いつつも、キャンドルを前に頬を緩めて山ほどもある思い出を嬉しそうに繰り返す老人の話に相槌を打った。
「で、あんたたち、どこに帰るんだね」と老人。それはもう二度も聞かれ、その度に「上高地からバスで新島々に・・・」と伝えていた。で、その度に「おお、新島々か。昔は歩いたもんだよ。島々谷の岩魚留小屋はいつ営業しとるのかぜんぜんわからない。いつ行っても誰もおらん・・・」というようなことを繰り返す。
これに対してMが、
ウェストン祭に参加するため一度だけ峠越えで上高地に入ったことがある、というようなことを言ったときのこと。老人は、じっと黙り込んで首を捻り始めた。そうしてしばらく何やら考え込んだ末に「あのね・・・・」と老人はささやくような声で話し始めた。
「あのね・・・修験って知っとるかな君らは。私がね、徳本(とくごう)峠を越えてここに下ってくる時ね、白沢って沢筋を下るんだがね。山をくねくねと曲がりくねって下ってきて、白沢のガレ場に出る荒れた道だがね、視界が開けて岩がごろごろしとる場所で”ちりーん“と音がしたんだ。てっきり誰かが登ってくるのかなと思ってね・・・熊避けの鈴と思ったんだ・・・わしはね下を見たんだが、誰ぁーれの姿も見えない。
※注:内容はうろ覚えのため実際の会話よりも短く省略しています。おかしいな、と思って岩のほうに歩き出そうとすると、また”ちりーん“と音がする。今度は後ろから誰かが降りてきているんじゃなかろうか・・・そう思って耳を澄ませたんだが、誰ぁーれも来ない。わたしゃ熊鈴なんてもの持ってないからね
山では人が居ないのにそばで話し声がすることがたまにあるが、あれと同じと思ってね。気にせず歩こうとして岩を超え向こう側へ移ろうとしとったときだった。今度は耳元で”ちりーん“・・・
うわ、と思って横を見た。したら、灰色に薄汚れた衣装を着た修験が横の岩に腰かけてじっと動かん。その指先には黒っぽい鉦のようなものがあって、時々”ちりーん“と音がしとる。
気になって声をかけたんだが聞こえぬのか、聞こうとしないのか、顔を向けようともせなんだ。だが怪我してるとも思えんし、時々指を動かして鉦を鳴らしてるだけでな・・・そのままにして来た」
というような、じつに奇妙な話を聞かせてくれた。
翌朝、この老人は四時に徳沢を発った。僕らはウイスキーをしたたかに飲んだため、二日酔いで痛む頭のまま上高地に向かって歩き出した。そうして明神館という伝統のある山小屋の前まで来たとき。Mが
徳本峠で帰ろうか、と言い出した。「山伏?」と聞くと、もし具合でも悪くて動けなかったら大変だろう、と悪ガキのように笑った。
その言葉の裏には、昨夜老人の話た奇妙なものを見てみたい、という好奇心があることは明らかだ。実は僕も気になっていた(^^;。 ハイペースで歩けば島々谷は明るいうちに抜けられるな・・・と思った僕は、Mの提案に賛成した。僕ら二人は
上高地への道を左に逸れて、峠への登り道に入った。この道は徳本(とくごう)峠へと続いている。
かつて上高地に入るには、この峠を越えて入るよりほかなく、江戸時代は安曇村から峠を越えて木材伐採に入ったという。もちろん信仰の道でもあった。
これが峠の小屋。横にはキャンプ場(テント場)もあるが、ここはものすごい数の薮蚊が群がってくるので、僕が一度キャンプした以降は、二度とする気にはならない。この峠は穂高など北アの山並みがパノラマに見渡せる最高のヴューポイントだ。徳本峠にはお世辞にもきれいとは言い難い山小屋“徳本峠小屋”がある。この小屋を伝統ある小屋だとしている記事も見かけるが、実は江戸時代から存在する“
徳本小屋”というのは現在の“明神館”のこと。紛らわしいことこのうえない。
江戸時代の元締文書には“常設きこり小屋として12個所、下より田代、湯川、越後川、宮川、
徳吾(徳本・現在の明神館)、古池、横尾、わさび野、わさび沢、熊倉沢、一の俣、二の俣、と記されており、杣には、入り4カ村、今の安曇村全域から入った、とある。江戸時代は明神館付近の場所に”徳吾“と書かれている。
さて、こうした歴史ある峠だが、トンネルによって上高地に入れるようになった現在では、峠越えの道は寂れ果ててしまった。しかし、先の老人のように数少ない好事家がこの旧道を辿っている。道はしだいに荒れてきて、ついにはそこらじゅうが崩落し、岩石がごろごろしている。これでは熊鈴でもつけたくなるのもわかるが、僕はつけたことはないし、つけるつもりもない。
そうして歩いていると、突然風が吹き抜けた。
それとほぼ同時に“ちりーん”と、音がした。この音に僕はドキッとした。修験の僧が怪我して動けないのかもしれない、と思ったのだ。そして、なんであの老人は小屋の人に話さなかったんだ、と思いながら焦りを覚えつつ駆け上った。
急にペースをあげたため心臓の鼓動が激しくなり、耳の奥でドクドクと脈拍の音が聞こえた。しかし、探せども、それらしき僧の姿はどこにも見えなかい。ここから道は左に湾曲し暗い森に中へ入ってしまう。もし老人が見たとすればこの付近のはずだった。僕とMは隈なく周囲に目を配る。
“ちりり・・・ん”
間近で鉦の音がした。Mは岩石の奥に横倒しになている倒木に近付いた。「おいっ!ここだ、ここだぞ!」その声に僕は駆け寄った。
“・・・ちりーん・・・”
それは、朽ちかけた倒木の折れた枝の残りに掛かった鉦が、風に揺れる枝のために鳴っていた。よく見ると、その倒木は人が岩に腰かけているようにも見える。“奇妙だな・・・”ふっと、腰かけた人が胸の位置に手を置いて鉦を鳴らしている幻影が見えた気がした。
昨夜の老人が見たものは果たしてこれだったのだろうか。それとも、やはり修験僧がここに坐していて、鉦を鳴らしていたものなのか。見れば見るほど、その木が得体の知れぬ何物かに姿を変えそうな気がしてきた。このとき理由はわからないが、全身が総毛立ってしまった。
僕はMを促すと、鉦には指一本触れずそのまま峠を目指してこの場を離れた。その後の事は、何もわからない。
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