
画像はiPhone 4sで撮影なぜか、たまに、飲みたくなる酒がある。
それが純米酒『苗場山』。苗場山のふもと、江戸時代に文人・鈴木牧之(ぼくし)が闊歩した津南町の瀧澤酒造が苗場山の雪解け水で仕込んだ薫り高い名酒。ここでその旨さについて、素人のボクがあれこれ語るほど野暮じゃあないので、ひとこと。
ひとくち含んだ時、口から鼻に抜ける薫りは、さながら苗場山頂の池塘の上を吹き渡る初夏の風のように素直でありながら、幾重にも豊かなうまみを重ねつつ嫌味なくまとまっている。そんな自然なうまさを、さらりと楽しめる極上の酒。
刺激的ではないが故に、真っ白なノートのような贅沢な空白の時にたまらなく飲みたくなる。これは純米酒・苗場山に限った話ではなく登山でも同じ。日常の煩雑が通り過ぎた後の空白の気持ちのときに、ふと身を置きたくなる山。
酒も。山も。何度も味わうたびに、苗場山ってそんな癒しのパワーを持ったリゾートのような存在なんだと、つくづく思うようになった・・・
ところで古(いにしえ)に苗場山を全国的に有名にしたのは、前出の鈴木牧之。それ以前に日本各地の山々を紹介した「日本名山図会」には苗場山は掲載されていなかったから、鈴木牧之が初めて紹介したと言ってもいいのではないだろうか。しかし、どうして日本名山図会に掲載されなかったのか・・・
おそらく街道を旅しながら各地の名山を描いた谷文晁(たに ぶんちょう)の目に、苗場山が姿を見せなかったからではないのか。
なぜなら当時、谷文晁が歩いた三国街道からは、奥山である苗場山の山容は見えないからだ。この、江戸時代の隠れた名山を世に紹介したのが、鈴木牧之というわけだ。
彼は文化八年(1811年)に、友人4人に従者など12人あまりで苗場山に向かった。白衣姿に幣を掲げた先達の先導で険路を踏破し、頂(いただき)にいたった。苦心の末に達した山頂台地で感じたことを牧之は北越雪譜(ほくえつせっぷ)の中の「苗場山に遊ぶの記」に次のように記している。
山の名によぶ苗場という所ここかしこにある。そのさま、人のつくりたる田のごとき中に、人の植えたるように苗に似たる草生えたり。二里の嶺にこの奇跡を観ること甚だ不思議の霊山なり・・・云々
さて、今年もGWを過ぎた頃から、千年の昔から人知れず天空を映し続けているかのような、苗場山の池塘を歩きたくてたまらなくなった。5月の朝もやに雪解けを乗せた風が吹き抜ける中、宇宙のかけらが浮かぶ早朝の池塘をひとり占めする、そんな贅沢を味わいたかった。

登山道の後半は急登と悪路が続くどうせなら一泊したい。
時短流行りの昨今だけれど、こんな夢のような場所、日帰りで通り過ぎるなんてもったいない。毎度の登山ルートは、秘境秋山郷にある3合目登山口から続く小赤沢コース。そこの広々した駐車場で一泊、あるいは山頂の木のデッキにテントを設営して一泊というのもいい。山頂にテン場はないが、緊急時の野営用に、木のデッキに野営させてくれる。料金は300円。

急登の登山道から、ポンとドラマチックに頂上台地の坪場に飛び出す

坪場までは、3合目から登り始めて1時間半早朝日の出前後の、なんとも言えないロマンチックな光景は、想像以上の美しさだ。北欧神話に登場する運命の女神ノルンの物語を体験するかのような、そんな夢とも現(うつつ)ともつかない時の支配に身を委ねてしまうと、もう逃れることはできない。誰もが女神ノルンに一目ぼれしてしまう。
おまけに、この池塘群のどこかには、地下の巨大な空洞への入り口が隠されているという、心躍るような話まである。それは、かつて木道すらなかった登山黎明期のこと。豪雨のときに山頂のある場所で、ゴウゴウととどろく音とともに水が渦を巻いて吸い込まれていた、という恐怖の体験談がある。誰の山行記だったか忘れてしまったけれど、その印象が苗場山のイメージを自分の中で神秘的にさせているのかもしれない。

池塘の中を木道が続くそう思いこがれながら、願いがかなったのは猛暑の最中の8月だった。待ちに待った夏休み、都内に充満する異常なまでの酷暑を振り切り、一路向かったのは秘境・秋山郷。秋山郷の近くには、第二の谷川岳と呼ばれる険しくも楽しい山、鳥甲山(とりかぶとやま)がある。
この鳥甲山を真正面に望むのが宿とキャンプ場を備えた「のよさの里」。ここに数泊キャンプしながら、初日に新潟の八海山。そして翌早朝、はやる気持ちを抑えつつ、大好きな苗場山へ。
3合目登山口を出発したのは6時20分。途中の4合目の水場で水をたっぷりと補給。その後、8合目付近でも、岩場から流れる清冽な水で喉を潤す。そこから連続する鎖場や急登を越えると、いきなりポンと山頂台地の坪場に飛び出す。時間は8時少し前。3合目からちょうど1時間半だ。
以前の記事の時とコースタイムにさほど変化はない。

池塘の上を涼やかな風が吹き渡るこの坪場からは、視界いっぱいに池塘群が広がり、その中に木道が伸びている。ここから山頂までの30分がものすごく気分いい。野鳥のさえずりが、ひんやり涼しい早朝の池塘群に美しく響き渡る中、ポクポクと木道をひとり歩く。

朝日を背に池塘をパチリそして、その日の気持ちに一番好きな景色の前にどっかりと腰を据え、ゆっくりのんびりコーヒーを淹れる。じつに贅沢なこと、このうえなし。池塘を前景に、どこまでも遠望できる頂上台地の気持ちよさは「頂(いただき)を踏む」という征服的登山とは全く違った価値観で登山者を包み込んでくれる。そこに純米酒苗場山に通じる、無為自然な豊かさを感じてしまうのだ。
いつまでもこうしていたい。きっと誰もがそう思うに違いない。野鳥の声が響き渡る広い頂上大地の池塘群を、冷ややかな風が吹き抜ける。登山者は、無言のまま思い思いに木道のベンチに座り、気持ちよさそうに苗場山の景色に没頭している。
なんというか、夢の世界のように感じられるから不思議だ。ほかの山ではなかなか味わえない、苗場ならではの世界観。牧之翁が記すところの“奇跡の山”だからこその、気持ちよさなのだろう。

秋になれば、池塘一帯は草紅葉(くさもみじ)に美しく染まる。それはまた格別で、美しい世界が現出する。さて、秋山郷が深雪に閉ざされる前の艶やかを眺めに、こっそりと出かけることにしようか。
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・秋山郷登山口:長野県下水内郡栄村小赤沢
・普通車80台駐車可
・山頂に営業小屋、売店
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