
マーク・トウェインの小説“トム・ソーヤの冒険”の前書きには「かつて少年少女だった大人たちにも読んでほしい」という著者の言葉がある。
ここに登場するのが、実にわんぱくな少年、トム・ソーヤ。そんな彼と、かつて少年少女だった”山好きな大人たち”が大喜びしそうなルートこそが今回の「大山・北尾根」だ。
ここの素晴らしさは数々あって、たとえば、紅葉時期の休日にも関わらず、出会うのはわずかに数組だけとか。またたとえば、明るいブナ林の下、静かで豊かで昔と変わらない丹沢ならではの尾根歩きが存分に楽しめるとか。
大好きな人に「どこか身近な場所で、黄葉の中を気持ちよく山歩きできる場所ないかな」と、ふいにたずねられた際に教えてあげたい、とっておきの場所なのだ。
そもそも、このルートの素晴らしいところは一般的な登山道ではなく、かといって難易度が高く苦労する、なんてこともない。つまり、ある程度の山歩きの基礎経験があれば、地形図と踏み跡をたよりに歩ける、いわば入門的なバリエーションルートといったところ。
この、登山本来のちょっとした冒険気分が味わえ、トム・ソーヤも大喜び間違いなしの素晴らしきルートは、北尾根という名のとおり、大山の山頂から北に伸びている尾根だ。
かつては、大山・北尾根は登山地図に記されていなかった。いわゆるバリエーションルートの入門的コース。もちろん現在は地図に破線で掲載されている。
ボクがここを楽しむのは春と秋。沢歩きで谷からこの尾根に登ることもあるけれど、大抵はヤビツ峠に車を置いて、イタツミ尾根で大山に登り、山頂の電波塔裏から北尾根に入る。そして、気持ちのいい尾根をたどって林道まで下ったら、のんびりと舗装路を歩いてヤビツ峠へ、が定番コース。
※夏場、山ビルに襲われた以下の記事は、この北尾根を楽しんだ後のお話。尾根を林道まで下った後。ヤビツ峠までの長い炎天下の林道歩きが嫌で、ショートカットしたための不運を記事にしたもので、これが元で取材を受けて、産経新聞の記事にもなった。
■ヤマビル 湿地に蠢(うごめ)く恐怖朝9時を過ぎたヤビツ峠は、高尾山ほどではないけれど、多くの登山者でごった返していた。よくよく見れば、なんと三分の一ほどがカラフルなファッションに身を包んだ山ガール。いやはや、これじゃあますます山が楽しくなってしまうじゃないか。

イタツミ尾根と表参道の合流地点ヤビツ峠からは、三ノ塔方面へ向かう流れと大山方面に向かう流れに二分されるのだが、予想に反してイタツミ尾根で大山登山に向かう山ガールや若者グループがかなり多い。大山から下社を経由し、参道で豆腐料理、とかいうコースでも想定しているのだろうか。ともあれ、にぎやかにおしゃべりしながら楽しそうに登山する姿は見ていても楽しくなる。
ところでヤビツ峠のヤビツとは武器庫を指す“矢櫃(やびつ)”が語源で、戦国時代、小田原に攻め寄せる武田軍後には秀吉軍と北条軍の最前線となった場所。累々たる屍が谷に打ち捨てられていたためか、後の江戸時代には幽霊あるいは妖怪が出る場所として忌み嫌われ、恐れられている。
たとえば山を見まわる“山廻同心”は、ヤビツ峠にさしかかると峠の霊あるいはヒダル神のために準備した“にぎり飯”を谷に投げ、足早に立ち去った。これをしないと、運が悪いと霊に憑かれ、意識が朦朧とし、最悪の場合は死に至ると言われていた。
■妖怪と混浴
しかし、にぎやかで華麗な山ガールたちのキラキラした姿に、そんな古い言い習わしはどこかに消し飛び、数珠のように連なる登山者の中に混じって、サクサク落ち葉を楽しみながら初冬のイタツミ尾根を歩くこと1時間で大山山頂。
途中、下社からの表参道である登山道との合流地点の混雑ぶりはすごかった。下から上まで、ずらりとつながった登山者の姿に、まるで江戸時代の大山詣の現代版だなぁと、おもわず眺めてしまったほど。

時刻はまだ11時前。山頂でなんとか座る場所を確保し、相模湾を眺めながらアツアツのコーヒーを飲み、パンで腹ごしらえ。そするうちにも、どんどん登山者の数は増え続け、落ち着かなくなったため荷を整えて、北尾根めざして山頂北側のアンテナ塔へ移動した。

北尾根へは山頂のアンテナ塔横のこの踏み跡より入る

行く手を遮る柵を脚立で越えて進む北尾根へは塔の横の細い踏み跡から入る。すぐに柵で行く手がさえぎられるが、柵に立てかけられた脚立で乗り越え踏み跡通りに進む。すると、すぐになだらかな気持ちいい尾根が眼前にあらわれ、踏み跡の痕跡通りに尾根伝いに歩く。

サクサクと落ち葉を鳴らしながら、昔ながらの明るいブナの尾根を、登山道が無い故に自由に歩く気持ちよさったらない。
山林整備のモノレール軌道が出てきて、しばらくは並行して歩くが、やがて軌道を乗り越えて尾根を北へ北へと進む。誰の話し声もしない。足音もしない。大山の山頂の賑わいを思うと、いまこの尾根に自分たちしか居ないことが夢のように感じられる。

ところどころ踏み跡が不明瞭となるが、現在地と方角さえしっかり同定しておけば、よっぽどのことがない限り間違うような支尾根はないので、本来の静かな丹沢を思いっきり味わえる。

ここを最初にたどったのはずいぶん昔の事。地獄沢を登り詰めて、この北尾根に出た。そして大山まで尾根を歩いた際に、あまりの気持ちよさに大ファンになってしまったのだ。当時は地図にもルートの記載はなかったが、現在は破線で表示されている。

大きなアップダウンもなく、なだらかな尾根が続く。途中で西沢ノ頭、ミズヒノ頭という2つのピークを超える。まず西沢ノ頭の直前で北西方面のヤセ尾根に入る。この時、北東方面の尾根の方が広いためそっちに向かわないよう注意。

ミズヒノ頭を越えるといっきに視界が開け、ランチの絶好スポットである一本松ピーク(勝手に命名)に出る。ふり返ると、これまでたどってきたルートが一望のもと見渡せる最高のビューポイント!

勝手に命名した一本松ピークこの先でも尾根が分岐するので、左側の北西方面の尾根へ入る。よく見ると、木の枝に赤テープもあるので迷うことはないはず。痩せ尾根を渡り、高度を下げるとやがて送電線の鉄塔が見える。この鉄塔を目標にどんどん下る。

鉄塔の真下から少々ひと登りすると、展望の良い休憩に最適な場所に出る。ここに来てようやく初めての道標が目に入る。道が左右の2手に分かれるので、左の地獄橋方面へ進む。すると、これまでの明るい林相と打って変わり、杉の暗い森に包まれた尾根道となり、尾根沿いに下ること1時間で林道へ。

あとは林道をのんびりと1時間ほどでヤビツ峠。
休憩時間を含めヤビツ峠からグルリと廻って5時間未満で楽しめる、手ごろなバリエーション入門コースです。
さて、最後に。トム・ソーヤの冒険には、トムの生き生きとした心がとらえた考察としてこんな言葉が書かれている。
前略・・・トム・ソーヤは「労働」とは人がやらねばならぬことであり、「遊び」とは人がやらなくてもよいことである、という理解に到達したはずであり、ひいては、造花を作るとか踏み車を踏むといった行為が何ゆえ労働であり、10本のピンを倒すとかモンブランに登るといた行為が何ゆえ遊びにすぎないのかを理解するようになったであろう。
イギリスでは、夏のあいだ、裕福な紳士たちが四頭立ての乗り合い馬車を駆って、決まった路線を30キロなり、50キロなり走らせると聞く。その特権を行使するのに相当な金がかかるからである。しかし、もしもこの行為に対して労賃が支払われるとなれば、それは労働ということになり、紳士たちはやめてしまうに違いない。
トム・ソーヤは、わが身を取り巻く状況に生じた少なからぬ変化についてしばし思いをめぐらしたあと・・・云々
このように、対価を発生しない行為の中で、危険と辛さが混在する最たるものと思われる登山は、実は最も崇高なる遊びなのではないだろうか。そして、登山本来の冒険を多少なりとも味わえるうえに、バリエーション故に人とほとんど出会うことのない、最高のルート。

黄葉の休日に、こんな丹沢を独占できるのが大山・北尾根の魅力こうした地図に記載されていない(あるいは破線表示されている)気持ちいいお宝ルートは、たとえば廃道となった丹沢の書策新道などをはじめ無数にあって、静かな本来の山歩きを楽しみたいという好事家によって、こっそりと歩かれている。
そして大山・北尾根は、トム・ソーヤと歩きたい、秘密にしておきたいほどの、宝物のようなルートのひとつです。
※数年前にルート迷いで遭難が発生しています。大山北尾根へは自己責任で。
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