記憶のかけら「そうだと思ったんだ」
携帯の向こうで彼女はそう言うと、楽しそうに笑った。
ボクは「あなたが山のない海辺の町で暮らせるはずなんかない」と、
なんでもお見通しと言わんばかりの彼女の態度に、ムッとしながら苦笑するしかなかった。
若いころより、仕事に遊びに、事あるごとに集った広告制作仲間のひとりがグラフィックデザイナーだった彼女・Iさん。以前「
山、夫婦、好きもの同士」で記事にしたように、彼女は当時の友人S君と結婚し、現在は青山・骨董通りにデザイン事務所を構えている。
安藤忠雄の作品を思わせる天井の高いコンクリートのシンプルな部屋にはチャーミングなデザイナーが二人在籍し、意識しなければわからないほどの小さな音量でボサノバが流れていた。この心地よさをさらに引き立てていたのは、コーヒーと品の良いフレグランスの混じったかすかな香りだった。きっとそれも、彼女のオフィスからほどちかい場所にあるフラゴナールなのかもしれない。
外房への移住を決意した当時、ごく数人の友人にだけ「外房の海辺の町に移住することにしたよ」と告げた。彼女には伝えていなかった。たいした理由などないけれど、まあいろいろ詮索されそうで面倒くさかったから、というのが当時の気持ちだった。
このことが噂で広まった時、きっと数年でUターンしてくるよと彼女は断言し、知人たちと賭けをしていることを知った。それが悔しくて、絶対に戻るもんかと思い4年半過ごしたのだったが・・・今この記事を書いているのは、実に残念なことに神奈川県の田園都市線沿線の町。
とどのつまり、ボクは彼女の予言どおりUターンしてしまったのだ。
自信たっぷりにUターンを予言した彼女にだけにはこのことを言いたくはなかった。だからUターンしたことも、颯爽と移住した手前、あまりにカッコ悪くて、ごく限られた友人にしか伝えなかった。しかしどうしたことか、Uターン後3ヶ月で彼女のもとに風の便りが届いたようで、突然携帯に着信があった
― まいったなぁ
その着信表示にそう思いながら、しかし、なんだかちょっぴり嬉しくもあった。
聞いたわよ。さみしくて戻ってきたんでしょ?という第一声に、「まあね」としか言えなかった。
なぜわかったのかを聞くと、風の便り、とだけひとこと。風の便り、つまり口コミ。販促手法では、これをバイラルマーケテイングと呼んで活用したりするけれど、そこに自分の情報が乗ることなど考えてもいなかった。
この「風の便り」は、どこから出されて、どこを経由し、いつまで届き続けるものなのだろう。
そういえば、中学3年になったばかりの頃。別のクラスの恋こがれる憧れの彼女に気持ちを伝えたくて、何日も考え書き直しを重ねた末に大きな決断でラブレターを出したことがある。しかし出してからというもの、あまりの恥ずかしさに彼女の姿を見つけると逃げるように隠れてばかりいた。これを卒業までの一年間続けていたものだから、中学最後の年の思い出は、キョロキョロと彼女の姿を探してコソコソと学校中を逃げ回っていたことしかない。そういうときこそ「風の便り」の出番じゃないか、と少し腹立たしくもある。
さて、「ふるさとは遠きにありて思ふもの」と詩に詠んだのは室生犀星(むろうさいせい)。北アルプスの山並みが美しい安曇野が好きだったボクは、彼の「犀川」が好きで、それで彼を知った。
美しき川は流れたり
そのほとりに我はすみぬ
春は春、なつはなつの
花つける堤に坐りて
こまやけき本の情けと愛とを知りぬ
いまもその川のながれ
美しき微風ととも
蒼き波たたへたり
彼の故郷は犀川の下流にあたる金沢。文人たらんと、彼は21歳の時に故郷を離れ東京に出る。そして極貧の中、一心不乱に詩作を続けた。そのひとつが、有名な「ふるさとは遠きにありて」だった。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ・・・・・云々
まさか涙ぐみはしなかったが、山がなくどこまでも見渡せる九十九里で、当初は爽快感を感じはしたが、やがてそれは爽快感ではなく空虚と感じるようになった。家の周囲の田園風景の上はどこまでも高い空。空と地上の境に、遠く連なる山並みがスコンと欠け落ちている。
だから、やがて次のようなことを始めた。
雲の多い日はそれを山に見立て、いつまでも眺めていた。しかし、大町から眺める北アの風景とか、秦野から眺める丹沢、北杜からの甲斐駒・南アなど、山々の連なりのように見える雲と出会えるのは、数週間に一回あるかないか。
そのため、月を見て物思いにふけるかぐや姫ではないけれど、飽きもせずに理想の雲を探して遠い空ばかりを、いつも眺めていた。そして山が見えないということは、こんなにも悲しいことだったのかと思い知った。
そんなさ中、東日本大震災がおこった。
都内に残した高齢の両親の安否が気になったと同時に、そろそろ介助が必要でもあったため、思いきってUターンを決意。すでに都内のマンションは売却してしまっていたが、なんとか仕事の目途をつけ、2012年夏、渋谷から30kmほどの丹沢を遠く望める場所を住みかと決めた。
朝な夕な、窓から丹沢や大山の雄姿をながめつつコーヒーを飲む充実感ときたら。ほかに何もいらない、とさえ思ってしまう。ともあれ実に4年半という時間をかけて、自分がほとほと山好きだったということを再確認させられた。まったく、やれやれだ。
「後悔よもやま話」で書いたことだけれど、やりたいと思ったことは、まずはやってみる。自分の気持ちに忠実に動く、と言えばなんだかカッコがいいけれど、家族にとってはひじょうに迷惑このうえないことだろう。
「好き勝手やってたら死ぬときに何も思い残すことはないな」と言って笑ったやつがいたけれど、どんな生き方しようとも、多かれ少なかれ、後悔はついて回るものだ。いま、しきりに心の中で悔やんでいるのは、「都内のマンションを売らなければよかった」ということ。まったく後悔ばかりの人生だ。
やれやれ、人間てやつは・・・いや、もしかしたら、自分だけかもしれないのかな。そんなことを思いながら「とにかくUターンするって賭けたのは私とプロデューサーのWさんだけなのよね」と携帯の向こうで高らかに勝利宣言するI女史の涼やかな目元を想像し、ため息をつきながらもちょっぴり嬉しくて、「風の便り」に心の中でこっそりと“ありがとう”とつぶやいた。
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今度もお住まいも近そうですので、いつか丹沢でお逢いできるのを楽しみにしておりま~す!