山の怪異と云っても、その意味するところは相当に幅広い。それは幽霊・妖怪ばかりではなく、自然界の不思議にはじまり人智を超えた諸事諸々。ここでは、これらをひとくくりに『
怪談』とします。なにせ怪なるお話ですから(^^;
今回のお話は数年前の夏のこと。
丹沢にある「
矢櫃峠(ヤビツとうげ)」での出来事です・・・
丹沢といえば古来より信仰の山域として知られています。それを示すように山の名も「大日の頭」「行者岳」「権現山」「ボンテン」「第六天」など仏教・修験の色濃い名残をとどめ、塔ノ岳に連なる尾根上には行者岳という岩峰が。その山頂には、かつて二体の役行者の像があったといいますが、現在では消失。が、鎖場となっているそこに身を置けば、往時の気配がゆらりと漂っています。
この山域で活躍した一族といえば
川村衆。大蛇神を援けんがために大百足を倒した
俵藤太秀郷(たわらのとうたひでさと)を祖とし、南北朝の合戦では南朝方として
丹沢拠点に戦い一族の多くが討ち死にしています。
その後も、
丹沢は幾多の合戦の舞台となり、戦国時代には相模北条を攻めるため、甲斐の武田が
丹沢山中に山城を築き何度も相模に押し出しては、山中・山裾で凄惨な戦いが繰り広げられました。
丹沢山脈の北側・道志方面は武田信玄の前線。場合によっては
丹沢一帯は、信玄が制圧していたかもしれません。西
丹沢には武田の金山があり山中には数百軒もの軒が連なったとも伝わります。しかし、後に地震による山津波によって、金山衆、女郎など全ての人が生き埋めとなってしまい、今もそのまま・・・
この沢を登ったときのこと・・・信玄の
隠し金山の坑道跡、ズリと呼ばれる捨てられた
鉱石クズや、突然ぽっかりと平坦地が出てきたりします。この平坦地は金吹きなど
金の精錬で使われた場所でしょう。
さて北条家は信玄の侵攻に備え、麓に砦や検問を築き、それが現在の「
諸戸」などの地名として残っています。信玄が利用したのは、尾根伝いのルートと道志川に沿った沢道。道志の「道志の森キャンプ場」から丹沢越えするルートのほかに、檜洞丸(地元では「ひのきどうまる」、地図上では「ひのきぼらまる」)横の犬超路など、複数あります。
「道志の森キャンプ場」から城ヶ尾峠を超えて相模に侵攻するルートには途中「
信玄平」という名も残っています。同じくこのルート上の「
地蔵平」という場所は、昭和頃まで部落があった場所で、現在は消えた部落として、土台の痕跡や錆びて崩れた古いバス停、地蔵を祀った祠などがススキが風に揺れる広い原に残っているばかり。熊や猪も生息していて自然もたっぷり。伝説をめぐるハイキングにはうってつけです。それにここの付近の沢筋は魚も豊富で、釣果もまずまず・・・いいスポットです。
さてこうした幾多の合戦に際して、重要な拠点となったのが丹沢の西にある「
ヤビツ峠」。信玄あるいは秀吉は、ここに矢櫃・・・つまり武器補給拠点を置いて秦野・小田原・八王子へと押し出したわけです。
そしてこれを撃退する北条にとっても
ヤビツ峠は重要な攻撃目標。この峠周辺では、何度も壮烈な戦いが行われ、累々たる屍が横たわったのだろうと想像できます。この幽鬼が
ヤビツ峠の「
ひだる神」の正体だと江戸期には言われていたわけです。ひだる神とは、山中で突然力が抜けて動けなくなってしまう現象。これを“
ダルに憑かれた”と江戸時代の山廻り同心などは云っており、そのダル神(餓鬼)のために持参した握り飯をその場に供えると、たちまち回復したのだと。これをしないと、最悪の場合その場で命を落としてしまうこともあると云う。
これは実際に経験しました。場所は会津駒ケ岳です。ダル神に似た症状に“低血糖症”というものがあります。これも同様に空腹で動けなくなってしまいますが、この場合はブドウ糖などで血糖値をあげることで回復します。
さて、今回はダル神とは別の
怪談です。
◆2004年の夏。
ヤビツ峠から
イタツミ尾根で大山に登り、大山からは登山道ではない
北側の尾根(大山北尾根)を下ったときのこと。(この尾根は昨年2006年に親子が道に迷って遭難した場所。しかしブナの原生林で非常に気持ちのいい尾根)
北尾根の気持ちの良いブナの森の中、ルートファインディングしながら一時間ほどで丹沢林道に出た。僕と友人は、そのまま林道を矢櫃峠へと向かうが、行程では一時間半はかかる道。おまけに夏の炎天下。舗装路からの熱も加わって、その熱さは尋常ではない。風すらそよとも吹かぬため、熱気がむわりと身体を押し包む。すでに滝のように流れ出た汗で着衣はびっしょり。額をだらだらと流れる汗が目に入り、腕には塩の結晶が陽光に光って見える。
次第に僕らは口数も減り、うつむき加減で眩しい舗装路に目を細め、黙々と歩くのみ。時折横を過ぎるのは、付近のオートキャンプ場に出入りすると思しき車。このあたりにはボスコオートキャンプベースや富士見山荘横のキャンプ場など、とっても気持ちのよいキャンプ場(オートキャンプ場も)がいくつもある。車中を見ればクーラー効かせて、楽しそうに笑うカップルやファミリーの姿があった。
気持ちの中で舌打ちしながら、僕らは日陰すらない炎天の道に足を一歩ずつ前に出し続けた。そしてようやく諸戸を過ぎて、やがて遥か先に小さな木陰が見えた。それは
青山荘という山小屋(民宿)だった(この青山荘にはロッジやキャンプ場も完備。もちろんオートキャンプ場で、気持ちのいいキャンプができる)。
僕らはこの青山荘で小休憩することにした。付近には泊り客の車が駐車されており、子供の楽しげな声が蝉の盛んに鳴く涼しい森にこだましていた。僕らは虫取り網を手にはしゃぐ、楽しそうな親子を見ながら、自動販売機で買った冷えたジュースを乾いた喉に流し込む。まさに極楽、甘露の味わいというやつだった。汗でべとべとになったタオルを山肌から流れる清水で濯いだあと、上半身裸になって身体を冷やした。
頭の先までじんじん来そうなほど冷たい清水が実に爽快このうえない。しかし、このさっぱりした上に、汗でびっしょりのシャツを着るのは気分悪いが、仕方なし。僕らは汗の臭いを気にしながらもシャツを着ると地図を眺めた。そしておもむろに友人が言う。
友人の持っていたこの地図はかなり古いもの。もちろん国土地理院の地形図にも記載はない。ショートカットは青い線。通常は赤い線を行く。青い線で示した沢中と沢沿いをたどる道は、相当に荒れており、赤テープの目印があってもルートを見失うほど。現在、荒れたルートを赤テープを探しながらたどると、この地図のヤビツ山荘前の舗装路に出られるけれど、気持ち悪い気がムンムンで辿る気はしない。「ショートカットできるルートがあるよ」
「え?ショートカット?」
「林道を歩かないで、沢にルートがとれるんじゃないかな?」
このルートこそ、地図に示した青い矢印。前日までの激しい雨で沢水が溢れて湿地化していると想像できるが、炎天のアスファルトを避け、涼やかな沢にルートがとれるのはありがたかった。キャンプ場の中からアクセスできるが、戻るのも面倒なので目の前の水溜りのような沢から入ろうと踏跡を探すが、草深く見当たらない。近くで農作業をしていたお爺さんに尋ねると、首をひねって考え込んだ末、「
そこから沢へ下りれば行ける」とのこと。おまけに実に無愛想。そのお爺さんは、ザックを背に草叢に入る僕らのことをいつまでもじっと見ている。その目はよそ者が入らない山村などで向けられるのと同じような怪訝そうな視線だった。
くぼ地に下りたボクらが見たのは、足元一面にじゅくじゅくと流れる琥珀色の水だった。それは沢というよりも、湿地。低い潅木がびっしりと生え、枝葉で頭上は暗く覆われていた。
こんなところがルートなのか?、と思いつつ、それでも峠の方向に向かって足を踏み出す。しばらく歩きすでにルートに合流したと思われるが、頭付近まで照葉樹にびっしりと覆われた中、いぜんとして滲みだした沢水の中をグシャグシャ、ジャバジャバと歩く。靴の甲あたりまで琥珀色の水に沈み、次にぐにゃりという堆積した腐葉土を踏む、柔らかいような気色悪いような感触があった。
日差しもなく、澱んだ空気が何やらかび臭い。さながら水没した潅木地帯の中を歩いているような気持ちいいとは言えないルート。そのうちに靴の中が水で湿ってきて、少しでも水を避けようと腐葉土が盛り上がっている方向に向かうが、すぐに生い茂る笹薮や岩石に行く手を阻まれ、木の枝にしがみついて、再び湿地に入る。こんなことをしているうちに、暗さはいっそう増して、辺り一面が茶色い光りになった。そこらじゅうに大きな岩石が露出し、それを乗り越えようと、潅木に手をかけた。
ヒタ・・・ヒタヒタ・・・
何かが落ちてきたようだった。そういうと友人は、木の葉かなにかだよ・・・といいながら、後ろをついてくる。
「あー、やめようやめよう。もうルートが取れない。沢登りの“薮こぎ“よりひどいよ」
ルートを間違えたらしい。立ち止まると再び、ぽた・・・ぽた・・・
頭上一面に覆い被さる木立の下を歩くと、ときおり頭に何かが乗たような微妙な感触がある。最初は気にしていなかったが、何かの拍子に思い頭に手をやった。なんだかヒヤリと柔らかいものが触れた。ゼリー?髪の毛に付いたその小さなナマコのような感触のものを抓んでみると・・・・それは小指ほどの山
ヒル。僕の指の間で、目も鼻も口もない先細りの気味悪い生き物が、細くなった先端をうねうね動かしていた。
「うわぁ!」
僕は背筋がぞくそくしてそれを足下に投げつけた。丹沢をホームグラウンドとしているので何度も
ヤマビルには遭遇しているけれど、上から襲ってくるのは初めてだった。まさに奇襲攻撃。ふと横の照葉樹の顔の横あたりの枝先を見てみると・・・!
なんとその枝先でクルクルと動いている何かに目を疑った。枝先には無数の
ヒルが張り付いていて、うにゅうにゅと先端を動かし続けていたからだ。
(
ヒルが枝先で獲物を待ち構えている?!)
「おいM、たのむ、たのむよ。俺の頭の
ヒルを払い落としてくれよ」
そういって頭をMに向けると、Mは奇声を発しながら僕の頭をものすごい勢いで叩くようにして払う。床屋の最後より数倍の激しさ。それに力が加わるので痛い。
「おい、首筋!首にもいるよ!」
その言葉に首に手をやると首筋が火傷の火ぶくれのようにブクっとしているのがわかった。それは
山ヒルだった。
払おうとするが、肌に吸い付いた
ヒルはなかなかしぶとい。つまんで引っ張ると、プチっといういような感触を残して剥がれる。これを何度も繰り返していると指がぬるりとしてきた。見れば両手が真っ赤。首筋から流れた僕の血だった。
登山用パンツはもちろん、ザックにもシャツにも、茶色やらオレンジ色やらの山ヒルがはりつき、盛んに細い先端をくねらせている。
そして、友人は恐ろしいことに気付いた。それは自分も同じ状況だったということ。暗い足元を目を凝らせば、そこは一面にうねうねと触手をもたげる
ヒルの絨毯だった。僕らはその場に留まらず、即刻、来たルートを走るように戻った。
湿地を抜けて草叢を出ると、そこは太陽がさんさんと輝く林道横の野原。すでにお爺さんの姿はなかった。僕らは野原でしゃがみこんで、シャツを脱ぎ背中や腹、わきの下にまで入り込んだヒルを指で弾き飛ばした。剥がれた跡には血が流れ、それが止まらないから、体中が
血だらけだ。
そのうちに靴の紐の隙間に何か枯葉のようなものが挟まっているのに僕は気付いた。まさか・・・と思い凝視すると、それもヒルだった。僕らはトランクス一丁のうえ、靴まで脱ぎ出した。はたから見れば馬鹿そのものだったろう。が、そんなことに構っている場合ではなかった。
靴を脱ぐと靴下に無数のヒル・・・そして靴下を脱ぐと・・・!!なんと足の指の間にまで、どうして入り込んだのかわからないが、オレンジ色のジュンサイのような山ヒルが張り付いていた。
こうして全てのヒルを取り除いた僕らは、流れる血が染み込みつづける
血だらけのTシャツと出血対策で首筋に巻いた
血だらけのタオル、そして登山靴の中が
血だらけにならないよう脱いだ靴を両手に、靴下で歩いた。血を吸った靴下の足跡にはきっと黒く血が混じっていたことだろう。こうして、じつにスプラッター映画の1シーンのように林道を歩き、
ヤビツ峠にたどり着いた。
途中、すれ違ったハイキングのおばさん方の「
どうしたの!怪我したの?!」という言葉にも、ただ「
いいえ・・・平気です」と、わけのわからない事しか言えなかった。ヒルです、なんて間違っても言いたくはない。体中をヒルに血を吸われ、
血だらけになっている、なんて、なんとも間抜けすぎる。
おばさんたちは、どこかで“
ヤビツ峠で
血だらけの人を見たのよ”なんて話しているかもしれない(笑)
あらすじしか知らないけれど、これはまさに鏡花の“
高野聖”そのものの体験だった。地図上の青いルートは現在荒廃し道も不明瞭。多くは沢筋の中を歩くため、水枯れする冬以外はなるべく入り込まないほうがいいかもしれない・・・とにかく、このエリアは山ヒルが非常に多い場所。水遊びや森の散策では気をつけてください。
それとヒル対策にはαメントール(あるいは塩)がいいです。ヒルはメンソールを非常に毛嫌いしますから。メントールのスプレーは
アウトドアショップのレスキューコーナーを探せば大抵は手に入ります。あるいはシーブリーズなんていうのも効果ありそうです。
◆
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テーマ:恐怖の体験話 - ジャンル:謎
歴史を振り返りながら
その場所をみると
また違った奥深さがありますね
とても興味深い話です
ヒルには出来ることなら会いたくないですね^^;