
古今、修行場所として多く選ばれる洞窟。洞窟からは山中に共通する印象を受ける。古来より山は異界であると云われてきたのであれば、洞窟そのものも同じく異界なのだろうか。
そういえば古代の墳墓は洞窟に置かれたり、古墳などのように人工的に穴倉が作られそこに埋葬されることも多い。おそらくそれは死と再生の、ある種、呪術的な行為なのだろう。そういえば原初の修験者なども神と共に春に山から里に降り、秋に再び山中に戻る。自然は四季を巡らせ、死は再生の重要なステップとなる。死がなければ誕生もない。日本が少子化している原因のひとつは高齢化にもあるのではないのか、とふと思うこともある。
さて、空海は若かりしころ海岸の洞窟で修行したように、戦後のアメリカ軍進駐時代に山篭りした偉大な人物がいる。極真空手の生みの親、大山倍達だ。

日蓮宗の本山である房総の清澄寺は歴史的に重要な場所だけれど、世界の空手にとってもまさに聖地ともいえる場所だ。清澄寺へ続く参道に「ドライブイン重兵衛」がある。このすぐ横の急坂の小道を上ると、展望台に極真空手発祥の地記念碑が鎮座している。
その記念碑には以下のような文言が刻み込まれている。
====抜粋ここから====
極真空手の創始者・大山倍達(1923~1994)は生涯を空手の道に捧げる事を決意し、1948年、清澄山に於いて一年半に及ぶ山籠り修行を行った。飢えと孤独に克ち、修行を全うして驚異的な強さを身に付けた大山は下山した直後、千葉県館山で牛と対決して倒した。その後、アメリカを皮きりに全世界に遠征しプロレスラーをはじめ、あらゆる格闘家と真剣勝負を行い全勝。その技は『ゴッドハンド=神の手』と絶賛された。1954年に創設された大山道場を前身として、1964年国際空手道連盟極真会館が発足し大山は国際空手道連盟総裁、極真会館館長に就任した。極真空手はやがて世界140ヶ国1200万人の門下生を抱える空手団体となり大山は「空手の父」として尊敬を集めた。「山籠り生活の中で私の念頭や胸中には『極真空手』の理念や構想が次第にくっきりと視えてきた」(大山倍達著「自分に勝て!わが性格改造論」より)後に著者の中でこう述べているように、清澄山は極真空手発祥の原点と言うべき聖地である。
====抜粋ここまで====

清澄山は非常に奥が深く、他の千葉県の山同様に意外に険しい。はたしてどこで、どのような修行を行ったのか誰も知らないようだが、この大いなる大自然の力を己の身体に取り込み糧にすることを考えると、まさに現代の修験者ではないのか、と思いたくもなる。
ともあれ生涯を通じて『正義と平和』を提唱し続けた大山が弟子たちに次のような言葉を残している。
正義無き力は暴力なり
力無き正義は無能なり◆
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すんなり溶けて他の知識と手を繋ぐような不思議な感覚があります(^^)