=怪談CLUB 其の一=人気(ひとけ)の無い奥山に在った魑魅魍魎や、器物百年にして精霊と化す、と信じられた付喪神(つくもがみ)などの精霊に見るように、この国独特のアニミズムとフォークロアの世界が結晶を成した時代が江戸時代。歌舞伎の怪談物や幽霊画、幽霊の浮世絵、そして極めつけは「画図百鬼夜行」で二百以上もの妖怪画を残した鳥山石燕(せきえん)が登場。
フォークロアの世界と密接につながりつつ、魑魅魍魎や精霊が記号化されたのが妖怪。昔の日本人は不可解な音や現象など、様々な怪異を豊かな想像力でイメージ化しました。「こんな妖怪を江戸時代は信じてたんだよね」と思われるかもしれませんが、それは妄信ではなく一種の遊び心です。恐ろしい幽霊画と異なって、妖怪には現代の戦隊もの、ヒーローもの、アニメキャラに通じるものがあります。例えば放射性物質によって突然変異したゴジラなど、まさに現代の妖怪です。
闇が少なくなった今、ウトドア活動はこうした、世のすみに追いやられたこの国独特のユニークな文化に触れる機会でもあります。夜、子供を前にした老人が妖怪を語るという光景が昔日にはありました。子供は怖いながらも心躍らせて聞いていたに違いありません・・・
キャンプの焚火を前に、こうした物語が似合うのは。やはり暑い夏のフィールドでしょう。さて、この妖怪なのか、はたまた幽霊なのか、
正体のわからぬ物と遭遇したことがあります。
それはいまから10年近くも前の事。
恵比寿のRという先鋭的なデザイン事務所の代表であるSさんと某恐竜博プロジェクトの立ち上げに参加していたときのことです。数週間がかりで恐竜博の膨大な企画書を仕上げ、僕はSさんとコーヒーを飲みながら一服していました。窓から外を眺めれば、真っ青な空に夏らしい積乱雲が立ち昇っています。
話は自然に釣りのことになり、丹沢の水無川の支流で岩魚があがってるみたいだ、との僕の一言に、これから場所を見に行こうとSさん。時間はすでに三時半。しかし金曜日だし、ドライブするのも悪くないかな・・・と思い、僕らは車に乗り込んで丹沢に向かったのです。
東丹沢の水無川と平行して
戸川林道という未舗装の林道が延びています。この水無川は沢登りが盛んで、源次郎沢、モミソ沢、水無川本谷など手軽に楽しめる多くの沢筋が密集し中学・高校時代は数え切れぬほどこれらの沢に通いつめたものです。
林道入り口に着いたのは陽も傾きかけた午後五時半頃。窓を開ければ羽虫がたくさん飛び交っています。Sさんは、それを一目見るなり虫の正確な名前を僕に告げ、その虫に対応するフライの種類を教えてくれました。僕はフライフィッシングは詳しくないため、そのアドバイスにただただ感嘆するばかり。こうして林道終点の小屋前で沢を調べているうちに、いつしかあたりは闇に包まれていました。
通る車もなく、黒々と重く沈む山の下、そろそろ帰ろうと、車で今来た道を戻ります。
不思議なことに、暗い山道は車に乗って通るのと歩くのとでは
怖さに違いがあることに気付きました。車に乗って走るほうが格段に怖さが増すのです。車は結界となり、外界と切り離されてしまい、外界がまるで異界のような黄泉の国のように見えてきます。ふたつの世界が出現することで、異界である外から何かが車に浸入するような、そんな気味悪さをふと感じました。
左は山の隆起による壁が続き、左手は沢が形成する谷。上には緑が覆いかぶさるように暗い庇があって、前は森の間にわずかばかり紫の空が見えます。埃っぽい林道だけが、ヘッドライトの中に白く浮かび上がっています。よりにもよって、こんなときになぜか幽霊だか宗教だか、とにかく
気色のよくない話題になりました。どんなことを話たのかはもう覚えていませんが、なんだかいやな気配が心中に入ってきたことは確かです。
さらに暗さは増して、道は大きく湾曲。曲がったところに
龍神の水場があります。それは弘法さまの水とも言われ、この名水目当てに週末は待ち人の列ができるほど。ここを夜通ると、昼間と打って変わって、水場から林道を横切って流れる夥しい水が、陰湿な気配を醸し出しています。窓を開けると
ざざざざ・・・ざざざざぁ・・・
という沢水の流下する音と
じゃば・・ごぼごぼ・・・じゃば・・・ごぼごぼぼ・・・
という龍神の水の溢れ出る音が暗い森の中にこもったように聞こえます。窓から、ざわざわ・・・という音と共に森を吹く湿った風が吹き込み、思わず窓を閉めると、無言となった僕らは車を出しました。まさにそのときでした。
「
あれ・・・へんなものが・・・」とSさん。その声に前方を凝視した僕も「あっ・・・」と言ったきり言葉が出ません。気持ちの中では「
幽霊だ」という言葉が明瞭に出ていたのですが、口にすることをためらいました。
前方にあったものとは、直径1メートルほどの
煙の玉のようなものでした。その玉は、地上から1メートルほどの空中に浮かんだまま、まったく動いていません。玉の周囲には髪の毛のように伸びた幾筋もの細く白い筋が薄っすらと漂い、その筋が煙球のほうに吸い込まれるようにして集まっているのです。
止まったほうがいい!僕はそう言おうとしましたが、それより早くSさんはアクセルを踏み、速度を上げた車はその玉に突っ込んで行きました。うわ・・・と思い、一瞬緊張しましたが、車は玉を突破していました。後ろを見ると、すでに煙の玉はどこにもありません。
「幽霊・・・だよね?」
「いや・・・煙の玉だよ。あんな幽霊ないでしょ?」
「湯気じゃないよ、タバコでもないよ」
「不可解な自然現象かな」
「でも、轢いちゃったよ」
「うん、轢いちゃったよね。幽霊にかわいそうなことしたなぁ」
僕らは、不気味さを打ち消すように、そんな冗談めいたことを言いながら丹沢を後にしました。これについては、今でもSさんと話していると会話に出ます。しかし、その正体は皆目見当もつきません。そして、この後、幽霊かもしれない煙玉を轢いた車は原因不明の不調が続き、とうとうSさんは一年もしないうちに手放してしまいました。
ClunNatureでは、アウトドア全般を扱いますので、キャンプ以外にこんなお話もラインアップしていきます。
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テーマ:怪談 - ジャンル:謎
鳥肌立てながら読んでました。
周りが闇に包まれる直前
それを逢う間の刻(おうまのこく)と言い
不可解な事が起きると言いますが
まさにそれですね。