大学時代の話です。
夏休みを利用して槍ヶ岳に登ろうということになり、高校時代に同じ山岳部で過した友人Yと二人で計画を練りました。
お互い別々の大学に入りはしたものの、山好きは相変わらずで山岳部に入部。夏の合宿が終わった数日後。早朝の新宿で待ち合わせし、上高地に入りました。
初日は上高地の河童橋間近の小梨平キャンプ場で幕営。実にのんびりした行程で、山らしからぬ計画です。当初はいつものごとく、ガンガン槍沢をトレースして短時間で登ってしまう予定だったのですが、よくよく考えてみればそれでは合宿とまったく変わりません・・・
僕は計画表を無言で眺めながら、なんとなくしっくりこない何かを感じて顔を上げました。すると同じく計画表から顔をあげたばかりのYと目が合ったのです。そして、これは不思議な一致だったのですが、なぜかお互い自然に笑みがこぼれてしまったのです。今思えば、これは無言の了解だったのでしょう。
以心伝心とはよく言ったものですが、僕とYにとってこの山行は、お互いにハードな合宿が終わったあとの自由山行。先を急ぐ理由などこれっぽちもありません。山岳部ではとうてい無理な、風景を楽しみながらの山歩き。それができるまたとないチャンスだったのです。
山に登りながらいろいろと積もる話をしたい。この思いはYも同じだったとみえて、初日はほとんど歩きのない小梨平キャンプ場で一泊。山というよりピクニック感覚です。
人気のなくなった暮れなずむ河童橋のたもとに僕らは座り、水割りを飲みつつ干物をバーナーで炙って頬張る幸せ。山をはじめてこのかた、こんな贅沢な時間を楽しんだことなどありませんでしたから、僕ら二人にとってはまさに夢心地でした。

翌日は徳沢と横尾のテント場をやり過ごし、元小屋があったテント場を通過し殺生ヒュッテ幕営地へ。ここからは北の高みに東鎌尾根、西には槍のダイナミックな景観が楽しめます。個人的には、この殺生ヒュッテから見る槍が、いちばん荘厳で美しいと思っています。槍ヶ岳の威容を堪能するのであれば、なにがなんでも殺生ヒュッテのテント場です。
しかしこの夜から天候が崩れ出し、夜半には風雨がテントを揺らすほどの大荒れ。しかし岩場の岩石にしっかりと張り綱を結束できたため、狭いテントに二人で寝転んだまま。
時折雷鳴が響きますが、ただ近くの岩場に落雷しないよう願うばかりです。激しい雨が断続的に続くように思えますが、やはり強弱はあり、小雨になった瞬間をついて小屋のトイレに走り、そのついでに小屋の雨水を1リットル数百円(値段は忘れましたがミネラルウォーターより高かったです)で売ってもらいます。
結局翌日、翌々日も雨は止まず、閉じ込められたまま。いくら雪山で停滞は慣れているとはいえ、狭い山岳テントに三日間はキツイもの。縮こまったままの姿勢のため、あちこちの間接がぎしぎしときしむように痛みます。もう我慢の限界で、とうとう雨具を着込んで雨の中で水割りを飲んだりし始める始末です。もちろん水は煮沸済み。
岩場に段々畑状にテントが張れるここも、数日の悪天に誰一人登山者の姿はありません。もしも計画しているあの時、お互いの目があわなければ悪天前に登頂し、その足で上高地の小梨平一泊&温泉の翌日には帰京していたはず。
あの時の言いようのない多幸感というのか、得体の知れない気分に、今更ながら悔やんでいました。「こんなにのんびりしなければよかったかな」と止まぬ雨に僕が呟くと、Yは無言で目を閉じたまま。ジフィーズの夕食を食べてシュラフに潜り込んでみても、ほとんど眠くないので寝付けません。これは朝まで眠れないな、と思いつつ丸三日間聞き続けた雨音にじっと耳を澄ませます。
その音が突如として「8時だよ、全員集合」のエンディングに流れるババンババンバンバン♪の曲になり、あるいは吉幾三の歌になり・・・気が狂うかと怖くなりながらも、様々に変化して聞こえる歌声や曲に身をゆだねているうち、いつしか眠りについてしまったようでした。
夜半のこと。テントのそばを歩く足音に目が覚めました。
それは確かに長年聞きなれ登山靴の足音です。ヘッドランプの明かりもないまま、ひとち、もしかしたらふたりほどの足音が通り過ぎました。普通では考えられないことです。タイメックスに目をやると午前1時過ぎ。テントを包む闇は濃く、雨もあがったようで、しんと静まり返る中、足音がこの世のものではないように突然聞こえなくなってしまいました。
“消えた?”と思ったそのときのこと。きーん、と急に耳鳴りがしはじめたと思った矢先、砂に埋められたように身体がずっしりと重くなり、いくら力んでも腕すら動きません。
そしてハッとしました。なんと自分の上に女性に見える誰かが座っていたのです。もしかしたら女性ではないかもしれません。その姿は今でも覚えていますが、身体にぴったり張り付いたような銀色のレオタードのようなものを着ていて、それがまるで鈍く光るウロコののようにも見えます。顔は長い髪に隠されてみることができません。しかし、不思議なことに怖さは全くありません。
懸命にもがき続けていたようにも思えましたが・・・ある瞬間、それまでずっしりと重かった何かが急に軽くなり、よかった・・・と思い腕時計を見ると時刻は午前5時前。雨音はまったくしません。横のYも目を覚ましたようで、彼を促してテントを出ると、気持ちいいほどの朝焼け。岩場では、ガスが生き物のようにふわりふわりと漂っています。
僕は横のYに、昨夜の銀色の女性の話をしようか迷いましたが、馬鹿馬鹿しいので心にしまい込み、澄んだ大気を胸いっぱい吸い込みました。そのときのことでした。
「あ、神様がいる・・・」
とYが少し上の岩場を指差したのです。ガスの濃淡の背後に岩塊が見えますが、岩のほか何も見えません。しかし横のYは口を半分開いたまま、その方向をじっと眺め続けています。
何度もまばたきし、目をこすり眺めましたが、やはり僕には何も見えません。Yによると、古風な白い装束を着込み、長い髪を頭の両脇で束ねたような神様が岩の上に立っていたのだと。
それは見間違いでも何でもなく、ほんとうにはっきりと見えており、ガスの中に黒々と浮かび上がる巨大な岩塊上に両足をゆったりと開いた姿で立ち、静かにこちらを見ていたのだといいます。
僕らは朝食を済ませるとテントをパッキングし槍の穂先を目指して岩場を登り始めました。Yの見た神様が立っていた大きな岩横を通過する際に、その下にある空洞をのぞいてみましたが、何も見えません。
果たして槍ヶ岳に古風な装束の神様が居たのか・・・この目で見ていない僕にはなんとも言いようがありませんが、当時のYの目は確かに何かを見ていたように思えました。
今思えば、計画段階のなんともいえない意見の一致も、この神様がもたらした悪戯だったのかもしれません。ただし、テントの外の足音、テント内の銀色をした女性のような存在は何だったのか、今でもふとした時に思い出してしまいます。
そして、僕もYの見た神様に遭えるのだろうか・・・そんなことも登山のひそかな楽しみなわけです。
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見えても違和感ない状況に思えます・・・
女性の様な存在・・こっちは気持ち悪いです~
お~恐・・・