なぜか7月13日から、突如として禁煙をしてしまった。
”禁煙をしたい”とそれまで思っていたわけではない。かつて、1年ほど前にタバコをやめようとふと思ったことがあった。そのときは1週間ほど禁煙を継続しているときに「
なぜタバコをやめようとしているんだろ」と思ってしまったため、その夜、ぷかりと一服してしまった。
こうしたタバコのおかげで、田舎暮らしの
怪異譚を記事にすることもできた。タバコさまさまだ。では、なぜ今タバコをやめようとしているのだろう。これが明確でないと禁煙する意味がない。せっかく、ぷかりと燻らす仕事の後の一服が楽しみなのに、それをわざわざやめようなんざ、意味もなく夏の夕方のビールをやめろ、というのに匹敵する。
そのきっかけを作ってくれたのがノブさん(現:野宿屋さん)がアップした以下の記事。
◆ニコチンパッチ de 「断煙」成功 ?!◆
http://nozyukuya.blog.so-net.ne.jp/2008-07-10
タバコが健康に悪いとか、人様の迷惑になるとか、町を汚すとか・・・そんな大層な理由ではなく、なんとなく「タバコに縛られているような生活が息苦しくなったから」であり「タバコを求めてTASPOもないまま店をウロウロする」自分が嫌になったから。
つまり、
自分の判断で吸ったり吸わなかったりが選択できない状況。吸いたい、という衝動がこみあげてきて、多くはこらえるけれど、ごくたまにその衝動にコントロールされるようにタバコを吸ってしまうことの
悔しさ。そんなときに、コントロールできていないのに、また自由じゃないのに・・・これは自分の意思でコントロールして吸ったんだ、と僕は自分に言い訳していたような気がする。そして、本当に自由なら5年間吸わないでいられる?と自問してみた。
禅でいうところの、本当の自由とは食欲や性欲、睡眠欲、快楽欲(音楽・美術ほか)などからの離脱をめざして修行し、本当の自由を手に入れようとするけれど、タバコもそれと同じように強力な欲で僕を縛ってしまっていることに気づいたからだ。
喫煙を完全にコントロール下においているのであれば、別に夜タバコを切らしても、ぜんぜんへちゃらだし、タバコを持たないで人里はなれた場所に数日間潜伏するとしても、なんとも思わない。今考えれば、出かける際にタバコを探してバッグに入れる、というのは完全に中毒だと思う。しかし、別に中毒が悪いわけではない。ただ、縛られている、ということ。
そして、こんな状態から抜け出してのびのびできたら気持ちいいんじゃないかな、とノブさんの上の記事を読んで感じたため、その瞬間から禁煙開始(笑)手元にあった吸いかけのタバコは今も机の上に乗っている。
当初の2週間は禁煙パッチを使用。しかし、パッチを貼っている時間は朝の9時頃から夕方16時頃まで。真夏だったので、汗ではがれてしまったため7時間程度しか使えなかった。おまけにパッチは高額なので、もったいないから10日間過ぎたあたりで貼るのをやめてしまった。
貼るのをやめた最初の二三日は吸いたいという衝動のようなものがこみ上げるが、これが自分を縛っているものの正体と踏んで、ちょっとだけ深呼吸。十数秒もすれば欲求は消える。
これを繰りかえすうちに、衝動回数は激減し、二ヶ月目を目前とする今では日に数回ほどの軽い喫煙欲求のみ。この欲求は、まさに悪魔のささやき。なぜなら“もう吸わなくても平気になったんだから、いま一本吸ってもだいじょうぶさ。じゅうぶんにコントロールできているよ”なんて、
理路整然と誘惑してくるのだから油断ならない。
ふとわれに返って、このささやきは“
一本吸いたい”という無意識の欲求じゃないか。まだ中毒の根っこが残ってやがる、とささやき声を粉砕。今後、一切タバコを吸いたくなくなれば、そのときこそは、人のすすめで一本ぐらいは吸ってあげてもいいかもしれない。
自分から吸うのではなく、杯同様に、人から「一本どうぞ」ってすすめられたら、断らないで受ける。これを始めるのは、禁煙して二年経過後くらいからかな。それと、すすめタバコは一月に1本まで、って規約を作っておかないと危険ですね~せっかく獲得した自由がふたたびタバコに剥奪されて支配されてしまう(^^;;
かつてタバコはネイティブアメリカンの間で神聖なる儀式だったんですよね・・・しかし、なぜネイティブアメリカンにガンがないのでしょうね?それが不思議です。
(本日:禁煙46日目)
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