記憶のかけら苗場山を登った帰りにちょっと遠回りして休暇村磐梯高原のキャンプ場を利用したときのこと。
テントの設営を終え散策していると、ふらふらと一台の汚れた軽ワゴンが駐車場に入ってきた。あっちに行ったり、こっちに来たりとなんだかとても頼りない運転をしている。やがてエンジンが止まった。しばらくすると車窓からプカリと煙。どうやらタバコを楽しんでいるようだった。
そして、ようやくのこと。姿を現したのは80歳に手が届くかと思える小柄な老人だった。彼は一匹の雑種の老犬を助手席から下し、駐車場横の雑草がいっぱいの草地サイトを丹念に歩き回っている。そこは、ほとんどテントが張られることのない、人気のないサイトだった。小さな軽にひとりの老人・・・キャンパーには見えない。
が、意外なことに、老人は雑草がぼうぼうの草地の真ん中で立ち止まると、そそくさと車に戻り、その場所に白い小さな使い込んだ軽自動車を乗り入れ、なにやらゴソゴソ。なんと後席からテントやテーブルを下ろし始めたのだ。
“あんなお年寄りが、ひとりでキャンプ?”
老人は、小柄な自身同様の、どこのメーカーのものともわからぬような、とても小さなテントを張り終えた。次に、ホームセンターなどで売っている、テーブルとイスが一体になったブルーのテーブル&チェアをセッティングした。テーブルの上には家庭用ガスコンロが1台とコッヘルが1セット。主要装備はたったこれだけだった。
テーブルに置かれたコッヘルは、一人用にしては大きめだった。老人はチェアに座ると湯を沸かし始めた。テーブルの上にはコーヒーカップがふたつ。あれ?とこのとき思った。老人のソロキャンプということで、花壇の縁石に腰掛け遠めに見ていたのだけれど、後からだれかくるのかな、と興味をそそられた。
僕は犬連れだったので、犬を操り老人の方に近づいた。サイト横を通りながら「こんにちは」とお決まりの挨拶。遠くの森をじっと眺めていた老人は、ちらりと僕の方を向き、ペコリと顔を下げると誰も座っていないテーブルの向かいに視線を投げた。
「気持ちのいいキャンプ場ですね」
と言うと、何度かうなずいた後に間をおいて「ここはよい場所だよ」と犬の頭を撫でながらつぶやいた。そこで、なんとなく「いつもお1人で?」と聞いたのをきっかけに、ふたことみことばかり話をした。
子供のできなかった老人は、定年後に軽自動車を購入し妻と犬とで方々をキャンプして回りはじめたのだという。「ここはね、家内が大好きなキャンプ場だったものでね」と実に幸せそうな笑顔。その奥さんはどうしたのか気になったところ、「昨年の冬にね、ぼくひとりになっちゃったものだからね・・・」と、老人は犬の頭を撫でた。ここで僕らの会話は途切れて終わった。
きっとこのご老人は、ずーっと働き詰めの人生で、旅行すら行くことはできなかったのかもしれない。そして定年を期に、楽しい思いをさせてあげられなかった妻のために、小さな自動車とちっぽけなテント、そして安いテーブルセットを購入し、二人でキャンプをして回っていたのだろう。長年労苦を共にしてきたその妻も半年前の冬に亡き人となり、老人はひとりきり。
“かすがい”である子供がいない分、きっとふたりで、お互いを労わり信頼しあい、ずーっと生きてきたのだろう。その大切な妻を失ったこの老人の悲しさは、果たしていかばかりのものであったか・・・心の痛みは、おそらく僕などには想像もできないほど大きかったに違いない。
こんなちっぽけなテントとテーブルであっても、ふたりで作った思い出は人生の宝物なのだ。あちこち痛んだテントを見れば、ほんとうに方々を二人で巡り歩いたろうことが想像できる。穴や傷は丹念に縫われており、それは今は亡き妻がキャンプの思い出話に笑顔しながら縫ったものであろうか。
だからこそ、今はなき妻の笑みを、在りし日のようにテーブルの向こう側に見るために、この老人はキャンプをしているのかもしれない。僕は無言で頭を下げると、その場を後にした。老人の姿は、沈みつつある夕日の中に寂寞として、悲しげにかすんで見えた。
この休暇村磐梯高原キャンプ場は大好きなキャンプ場です。秋の平日、ここでのんびり過すのが気持ちよくて、毎年訪れています。そして行く度に、この老人が小さなテントを設営していた駐車場左側の手前の草地に目がいってしまい、泣き出したいような、そんな無常な気持ちを覚えてしまいます。
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