= 怪談CLUB 其の十二 =
田舎暮らしにまつわる小奇譚
気にしなければ忘れてしまうほどの、小さく奇妙な出来事がある。それらを大仰に書くのも憚られる故に、小さくこじんまりと覚書程度の文章でまとめた。
【
深夜通り過ぎる人の声】
ここのところ土日も無く、深夜まで書斎で仕事するようになった。後ろは竹林、前に水田という、言葉にすればいとも長閑な環境なのだが、日が没すれば街灯のひとつとてない一帯は、重い闇に閉ざされてしまう。これとて月夜であれば陰ができるほど明るいが、新月の夜は闇に息苦しささえ感じてしまう。当初、好きなマーラーやドビュッシーを聞きながらの仕事だったのだが、先月からは音が邪魔になるため無音。
暑苦しさから雨戸の上の高窓を全て開け、心地いい夜の風を導きいれていた。とうぜん、水田のカエルの鳴き声もやかましいほど聞こえてくる。
すると、がやがや・・・がやがや・・・と大勢の人のざわめきが聞こえてきた。時刻は深夜1時半。街灯も無い中、ましてや竹林と水田の真っ只中に何事だろう。耳を澄ませば、がやがや・・・がやがや・・・というお爺さんお婆さんたちの皺枯れた話声がだんだん近づいてくる。近所に寄り合いでもあったのだろう、とそのときは思った。
そして翌日。ふたたび、がやがや・・・がやがや・・・と人の気配。時刻を見ると同じく深夜1時半すぎ。気配から察すると、たぶん5~6人だろう。しばらくすると、音はすぅっと消えるようになくなってしまった。どこかに行ったようだった。こんなことがしばらく続くと、興味が出てくる。先週のこと。その夜、聞こえてきたのは深夜2時すこし前。いったいこんな時間に何をやっているのだろう、と書斎から玄関にまわり、外に出てみた。しかし、そこには風がさらさらと草木を揺るがし、月を映した水田でカエルがやかましく鳴いているだけだった。
【
おろち】
数日前のこと。犬を連れて横の雑木林を抜け散歩しているときのこと。「キャー・・・」という悲鳴が背後から聞こえた。戻ってみると、雑木林の奥に住むKさんの初老のご夫人が、草地の物干しの前で棒立ちになっている。「どうかしましたか」と声をかけると、あれ・・・あれ・・・と草むらを指差すばかりで言葉にならない。
しばらく様子を見ていると、ようやく落ち着いたご婦人は、「ものすごい大蛇がいたのよ・・・あんなに大きいのは生まれてはじめてよ」と両手の指で輪っかを作って見せてくれた。その太さは尋常ではない。まるでニシキヘビのような太さなのだ。ここに移住してから半年、道で軽トラックに轢かれた、体調1メートルちょっとの大きな蛇の死骸を何度か見たことがあった。それでも太さは片手の親指と中指で作る輪っか程度だった。
婦人は、最初、草むらに太い木の枝が落ちていると思ったらしい。片付けようと近づくと、それが大きな蛇の動体で、先の深い草むらへ移動している最中だったらしい。ぐねぐねと身を左右にうねらせながら進み「尻尾まで見えるのに時間がかかったから、かなり大きな蛇よ」と話すうちに再び興奮してくる。そして一言。「あの草むらの先にはあなたの家だから、気をつけたほうがいいわよ」と忠告してくれた。
そういえば、がやがや・・・以外に、深夜水田で、人が飛び込むような“ドボン、ドボン”という音を何度か聞いたことがあった。もしかしたら蛇から逃げるカエルの水音だったのか、などと思った。この日以来、夜一服しに玄関から庭に出る前に、引き戸をそーっと開けて、懐中電灯であちこち照らし、安全を確認してから出るようになった。オロチが居るなんて、なんとも、物騒なことこのうえない。
【
水田を走る灯り】
これも深夜のこと。ドリップしたてのコーヒーが入ったカップを手に門を出て、水田の横に立って月を眺めていた。街灯がないので星空がとても美しく、流れ星もひんぱんに見ることができる。ここにきてから、流れ星にもう何回願い事をしたことか。
星座を見るのに疲れ、視線を下に戻したときのこと。水田二反ほど向こうの暗闇を、自転車の前照灯が右から左にゆっくりと動くのが見えた。このあたりは交通の便が無く、動くには車が必要で、車に乗れないお年寄りなどは自転車に頼らざるを得ない。よたよたふらふらと進むお年寄りの自転車は、見ていても非常に危なっかしい。バスなどの公共交通は一日に6便。これではまったく機能しない。
深夜の自転車も珍しくないので、ぼーっと眺めていたら、不思議なことに、その灯が横移動をやめて止まってしまった・・・いや、どうもこちらに近づいてきているようだった。水を張った水田の中を、赤茶色の灯がだんたんと近づいて、その灯が水田の波紋に揺れていた。少しずつ、少しずつ、灯と僕の距離が縮まる。そろそろ音が聞こえそうだな・・・と思い凝視していると、水田のちょうど真ん中あたりで、すぃ・・・と消えてしまった。
それきり、水田には月の青白い光があるばかりだった。
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