子供たちの歓声や若いカップルの笑い声
人で賑わっていた砂浜も、今はただ乾いた風音が
波間に聞こえるだけになった
さびしいな、とふと思いはしたが、
砂浜に座って自然が紡ぐ豊かな音に耳を傾けていると
とても気持ちがいい
鳥の羽音、さえずり、波音、風の音、遠くを行く飛行機の音・・・
だれ~もいない砂浜も、けっこうな賑やかさだ、ということに気づいた。
彼方のタイル張りのシャワー棟の、シャワーのカランから、ポタリ・・・ポタリ
と小さな水滴が太陽にきらきらと宝石のように滴っていた
夏に、ここで、今のように座りながら“暑い暑い”と恨めしげに太陽をにらんだ自分を思い出した。
燃えるような夏の後姿がそろそろ見えなくなりかけている今、なんだか、ちょぴり寂しさのような、なんといえばよいのか、うっとうしい友人が帰った後の、なんともいえないポッカリと穿たれてしまった空気感のような、今になって思えば夏はよかったんだよなという、どこまでも自分勝手な思いばかりが大きくなっている。
やっぱり、なんだかんだ言っても、夏は大好きだ。
夏は人生でいえば20代~30代か。10代の春に蓄積し研鑽し目指したものが夏に花開く。僕の人生はすでに秋。錦秋華やかというよりは、丹沢あるいは小仏峠などでひっそりと誰に見られるともなく黄葉する
ウリカエデあるいは
マンサクのような晩年を理想とする。
天高く、まっすぐ伸びやかに、穢れなき姿で気持ちよく生き、春に可憐な花を咲かせ、秋に黄葉する
ユリノキなんてのも、ものすごく魅力的ではあるが、紆余曲折の連続の僕にはふさわしくないだろうな。
それにしても、夏が終わり秋を経て冬を終着とする人生に比べ、樹木のなんと偉大なことか。人の人生を何度も何度も繰り返し、数十年数百年の永きにわたって生き続ける。ケルトを始めヨーロッパ各地さらにはスウェーデンなどの北欧でも、
キリスト教に汚染されるまでは、木を聖なるものとして信仰の象徴としていた。
それは日本でも同様で、諏訪の
御柱祭など最たるものではないかと思う。
夏が過ぎ去ると、いろいろな思いが去来する。さて、紅葉真っ盛り。残り少ない人生を謳歌しよう。
最後に、これは数年前に撮影した
高尾の紅葉。昨年までは自宅から高尾山まで自転車で行ける距離だったんですよね。撮影日は
11月。高尾の紅葉まであと一月近くありますが、山ではすでに紅葉の真っ最中・・・日光や那須の山々あたりも今が気持ちいいでしょうね。
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テーマ:田舎暮らし日記 - ジャンル:ライフ
駒ケ岳と田沢湖が今年の夏の思い出です。
さーて秋は笠ヶ岳と御嶽山です。
黒姫山も行きたけれど、時間が問題で..^^;